押して読むやつ

気が向いたら書いたり書かなかったりするやつ

当たり前とは

空気が乾いてきているので鼻の中が痛いです。私です。

 今月は全く記事書いてないのにブログの閲覧数が30程あって少し謎でした。Google経由でのアクセスもちらほらあるので鬱関連の愚痴がヒットしてるのかなと思ったり思わなかったり。

前回の更新から正直大きいイベント事もなく、調子が良い時に作った自炊の写真をTwitterに上げたりグラブルしたり一言で表せば大人しい月でした。これが実家じゃなければどれだけ気分がいいかと思うくらいに穏やかでした。

まぁ実家でイラつく原因と言ったら大半が父親なんですが。

「されて嫌なことは人にもするな」とは早ければ小学生でも自覚するような倫理観ですが親父にはそれが欠落していて、電話で大事な話をしている時にふざけて取り上げようとする、何かあるとすぐ大声を出す、自分は棚に上げて人に注意ばかりする等々挙げればキリがないのですが家でのストレスの大半が彼由来のものです。母もその倫理観の無さに呆れを通り越して悟っているのか、同意はするものの「彼はああ言う人だからもう諦めてる」と完全に他人事のように扱っています。

自分も「彼を矯正しよう」とは微塵も思いませんがスルーできるほどの耐性は持っていないので常に血管ピキピキのような状態です。実際一昨年の夏頃にストレスのキャパシティを超えて喧嘩になったことがありました。その時の争点がタイトルの通り『当たり前』だったと記憶しています。

出来て当たり前、やって当たり前、それが出来ていたのに出来なくなることが鬱の症状の一つでもあり鬱時のストレスの一因でもあります。当時はまだその「出来なくなる」ことについて割り切れずに自身への怒りも抱えているような状態で非常に不安定でした。そこに「それくらいもできないのか」「やれて当たり前だぞ」と発破をかけられるのは破裂寸前の風船を針で突いてるようなもので、破裂して溢れた怒りやストレスが一気に身体に襲いかかってきて呼吸困難に陥ったり椅子や壁を掴まないと立ち上がれないほど瞬間的に身体が弱りました。

「鬱だから丁重に扱え」と図々しい態度を取る気は更々無いですが、放置でも構わないのでせめてひっそり穏やかに過ごさせてもらいたいものです。上記の通り調子の良い時しか自炊も困難なので本気で障害者手帳の申請も考えるようには最近なってきました。以上。