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人それぞれの価値観のズレ

最近スマートフォンのバッテリが不調である。

 

100%になったのを確認してケーブルを抜くと1分もせず80%台に突入することも珍しくなく、冬季五輪のスキー競技のごとくハイペースな下り坂で消耗し1日に2~3回充電することはザラになってきている。

放電しきってからの再充電など、やれることはやったがバッテリか端末自体かどちらが不調なのか正直分からないので判断に困る状態だ。

このスマートフォンは2015年冬モデルなので、ちょうどスマホの背面カバーが剥がせなくなってバッテリ交換は基本的にサポートを受ける形になる頃の代物であり正規・非正規品のバッテリを買ったところでどうしようもない。

訳あって無職な私なので費用を捻出することが難しく、両親に「バッテリが不調なのか本体が不調なのかがわからないのでスマホを機種変更したい。月賦なら3000円もしない」と相談した。

返ってきた言葉は「壊れてないなら使い潰せ。そんなことに金を出すのが勿体無い。」というものだった。

私は『そんなこと』という言葉が頭にこびりついて何も言えなかった。確かにスマホを通話機器のみとして使う人からすれば強制終了が頻発でもしなければ問題ないのだろう。だがそれは他で言えばゴルフや車に興味ない者から「ボールが飛ぶんだから折れるまで同じゴルフクラブを使い続ければいい」や「走行可能な限りボディがへこんでいようが乗り続ければいい」と大差がないことを言っているのだ。

そう言う親父はそれらを実践していただろうか、いや一度もしていなかった。彼は「気に入ったのが出たから」や「乗り心地が悪くなったから」などと言って自分の勝手でそれらを買い替えてきた。まして母親など月4回通えば多い方になるスポーツジムに月謝を6000円以上払っている。私から言わせればそれこそ『そんなこと』なのだ。

両親がほぼ毎週のように日帰りの遠出で買ってくる土産、それらを1度でも無いことにすれば釣りが来るレベルなのに『そんなこと』と言ってのける価値観。興味の有無による価値の理解が顕著なのが理解でき、両親に敬意を持てなくなったある意味良い日だったのかもしれない。